acomagu's diary

思ったことを書きます。技術的なことは書きません。

可も不可もなく平坦に今日を進むということ

可も不可もなく、いや

ちゃんとしている人からすれば断然「不可」かもしれないけれど。

気持ち的には可も不可もなく、落ち込まず、でも特によくできたぞ自分、と褒めるほどのこともなく。平坦に、凡庸に進んでいく今日この頃(ここ数日)。

こうしてブログを書こうと思ってもなにも書きたいと思うこともないようなそんな日々を過ごしていると、昔読んだ「ブレイブストーリー」の、長いながーい砂漠みたいな道を馬車みたいなやつで緑色のなんかモンスターっぽいやつと一緒にゆったり進んでいくシーンを思い出す。多分初めの方だったよねあれ。

「疲れない日々」が嫌いだったな、とふと思い出した。大学入りたての頃は。

高校まではとにかく部活漬けで、大学に入ったらそれが急になくなってでも「大学生になったらやりたいこと」はたくさんプランがあった頃で、それでなんかやんなきゃもったいないと常に思っていて、とにかくエネルギーが切れるまでイベント参加したり開催したり、留学行ったりいろいろ人巻き込んだりして、でもすぐエネルギー切れ起こしてしばらく引きこもるのを繰り返してた日常。

そのなかでめっちゃ人にいろいろと迷惑かけたのはそうだけど、自分自身も少しずつ、「ああ、自分ってこういうことどうしても苦手なんだな」って体で理解していったりもした。

何回もの「もう二度とこんなことやらない」を経た後にちょっとずつ学んで、まあ言ってしまえば大抵の「意識高い系」活動とかは控えるようになって(傍から見ればそんなにやったわけじゃないかもだけど)、最近はもうすっかり技術しかしない引っ込み思案コミュ障エンジニアとなってしまった。

それは、悪いことだったのだろうか。

ほんの2年前の自分に言わせれば、それは「敗北」であることは間違いないだろう。僕は負けた。ずっと変わりたくてたくさんつらい思いもしたのに「なりたかった自分」の一つにも近づけている気がしない。高校時代のときに見た夢、留学に行くときに見た夢は全部自分が変わる夢で、全部実現することはなかった。それに悲しさとかやるせなさを決して感じないわけじゃない。

でもそれよりも何よりも、今一番にあるのは「諦め」だ。

少しでも理想の自分に近づけると信じていろんなことし続ける中で、「できない悲しさ」とか「やるせなさ」はもう十分すぎるほど感じた。もうそろそろ良いんじゃないかという気持ちだ。正直言ってそれだ。いろいろ理由付けはできるけど何よりも「もう理想と自分を比べて嫌な気持ちになるのに疲れた」ってところだ。その方面で頑張るのに疲れた。いや、行動を起こすたび、ずっと死ぬほど疲れてた。でもなぜか毎回少なくとも数週間経てば謎のエネルギーが湧いてきてた。でもそれも終わったらしい、というか、そろそろ学習したって感じだ。ある人はもしかしたら歳を取ったと表現するのかもしれないけど。

そんなこんなで僕は自分の、半ば自動的な「諦め」に気づいていくなかで意識的に別の方向に目を向け始めている。

自分が苦手なことはなんなのか。今まで目をつぶって「できる、できる」と思い続けてばかりいたせいで実はちゃんと考えていなかったらしい。それから逆に、得意なこと。それらをちゃんと考えて、得意なことを意識的にちゃんとやるようにしている。そしたらいろいろと気づきがあって、得意なことをやるってそれだけですごい楽しいなって改めて思ったり、考えてみたらやりたいことがどんどん出てきたりして、ちょっとの間このままでもいいかなって思ってる。

「希望」だ。「このままでもいい」かもしれない、という本能的な「希望」がそこにあった。大げさな表現かもしれないけれど、ここ数週間は本当に自然に言葉になるくらいじわりとそれを感じていた。

改めて、問いを戻そう。

頑張ることをやめて、ただの「コミュ障エンジニア」に戻ってしまったことは悪いことだったのだろうか。

今はまだ保留としておきたい。ただ、もう少し、希望を持って「こっち」を見てみようかなと思っている。

時間を失ってしまうこと、置いて行かれるんじゃないか、努力してた頃の自分に戻れなくなるんじゃないかとか、拭いきれない不安はまだ正直いろいろあるけど。とりあえず、思い切って。

最近はそんな感じ。

今まで見たアニメをまとめる

ここ1, 2年で少しずつアニメを見始めているので、覚えているうちに今まで見たアニメをまとめてみようと思う。

現在見ている途中のものも含む。途中でやめちゃったやつは含まない。特に言及がなければ二期があるものは二期も見てます。

順不同(だいたい見た順?)。

映画

こんなもんかなあ。小さいころもう少し見てるだろうけど覚えてない。

TV

こんなんかなあ。また思い出したら追記する。

もともと普通に TV アニメまとめるだけのつもりだったのに気づいたら「アニメ映画全般」入れてしまっていた。*1

でも懐かしいね。いつかマンガとか普通の映画とかもまとめたい。

*1:おかげで夜1時頃に書き始めたのにもう6時

不安定な精神を抱えて。

連投になるけど、今しか書けないことを書く。*1

不安定な精神を抱えている。正しくは、自分の予想では不安定なのは身体的な不調に起因していると考えているので、かならずしも「精神が病的である」とは結びつかないことも併記しておきたいけれど。

ちなみに今は比較的前向きな気持ちでいれる状態。

「抱えている」という表現は本当にそうだ。どういう意図かというと、「自分でコントロールできない」「爆弾のようなもの」みたいな。「2歳児のようなもの」と言ったほうが良いかな(子供をそんなに知らないので正しくない可能性は大だ...)。

「人と比べて『不安定』」というわけではない、ということも書いておきたい。精神に関することを、定量化して人と比較できるような知識は持ち合わせていないし、そもそも人によって状況は違う上に自分の精神について広く共有することが一般的な社会でもないので、ブログという誰でも読めるような場所で「普通より『比較的』不安定」などと言ったところで読む人によって状況は違うので無意味だと思う。自分が言いたいのは「自分でコントロールできない程度不安定な精神を抱えて。」というところか。

ええと、脱線しすぎたかな。

今感じることは、「こいつを抱えて生きるのはなかなか大変だよね」というところ。

「こいつ(不安定な精神)」が発作を起こしている瞬間はもちろんしんどいけど、そうじゃなくて。自分が理想とする生き方を邪魔してきたり。人が変わってしまって取り返しのつかないことをしてしまったり。とにかく自分の場合、「今やりたいこと」ができないことが多くて。

うまくやっているひとはどうやってなだめているんだろう。聞いてみたいよね。

特に「わかってもらえない」とかは思わないけど(わかってもらわなければならない状況にいる人はかなりしんどいと思う)、社会がそういう(「うまく宥められない」人の)状況を考慮した上で回るような仕組みになっているわけじゃないから。だから、それで人付き合いを壊してしまうこともあるし、まあ当たり前だけど「上手に」生きられないことも多いよね。

どうすれば良いんだろう。

*1:この記事は 2018/7/5 の午前1時ころに書かれました

プログラミングで「夢を叶える」話

自分の周りには「趣味でプログラミング」をしている人が多い。もちろん自分もその一人だ。

最近アルバイトの方が一段落して、自分の時間が取れるようになったので思う存分趣味のコードを書いている。

ちょうど今また一つ作り終えて(アルバイトをしてた時期から作っていたもので、約2ヶ月ほどかかっている)、次は何を作ろうかな〜というタイミングなのだが、「趣味でプログラミングって最初から最後まで楽しい...」ということを久々に実感している。

いや、今回は特に楽しかったかもしれない。それは多分、今回は本当に「自分のために作ったから」に他ならないな、と思った。

自分のための趣味プログラミングは、まず「こういうことができたら良いな〜」と妄想するところから始まる。例えば今回自分が作ったのは、今まで手間がかかっていた公共 Wi-Fi の接続作業を(半)自動化する、みたいなものだった。これはずっと「面倒だな」と思っていたことを、なんとなく「この辺まで自動でやってくれたらいいな」「このくらいなら(自動で)出来そうかな」みたいに考えていたものだった。

そして、作り始める。もちろんプログラミング自体も楽しいけど、「出来上がったときのことを想像する」だけでも十分楽しく作業が進む。

そして完成だ。念願の「自動 Wi-Fi 接続してくれる」生活が手に入る。ひとり優越感に浸る。

...まるで「夢を見て、叶えるまで」のプロセスそのままみたいだ。今僕は本当にそういう気分でいる。「夢を叶えた」。「夢を見る」段階からずっと楽しいし、「叶えた」らもっと楽しい。

もちろんこれはプログラミング以外のもの、趣味とか、まあいろいろなことに言えると思う。「おしゃれなマグカップでコーヒーを楽しみたいから、マグカップのためにバイトを頑張る」でもいいし、まあありふれた、みんながやってることかもしれない。

でもおこがましいかもしれないけれど、視野が狭い意見かもしれないけれど「プログラミング」は本当に「自分の手で夢を叶えた」気になれるのだ。自分の生活で不便なことがあれば、プログラミングでものを作ったり改善したりして生活を変えて解消する。もちろん技量不足やできないこともあって、それは妥協したりどうにか頭をひねったりでまあほかと一緒。でもうまくいったときはとにかく最高なのだ。自分の手で「夢に見た生活」を手に入れる。

自分は今「次に何を作るか」を考えてものすごくわくわくしている。いろんな生活を夢に見ている。

趣味プログラミングはいいぞ。

「心」と「世界」の間のもう一人の自分

引っかかってたことがだんだんと言語化されてきたので書く。

要は「いつも自分を客観視し続けるのはつらいよね」ってことだ。

普段生活している時、これは誰でもそうだと思うんだけど、自己を客観視して、ちゃんと行動に筋が通っているか、相手にわかるように話しているかとかまあそれだけじゃないだろうけどそんなふうなことを常に考えていると思う。ほぼ無意識でも。

それは感情を表現するときでもそうで、どういう説明でこの感情が伝えられるか? とかどういう理由によるものか、とか、

もっと言えば「これを今言って相手は面倒に思わないだろうか」とか「場を白けさせないだろうか」とかまあそういうことまで考えたりする。

それはまるで「『心』と『世界』の間に立つ中立な自分」のようだ。まあ理性と言ってもいいかもしれないけど。

「そいつ」は「心(本当の自分と言っても良いかもしれない)」の喋る言葉を噛み砕いて理解して、「世界」の状況も省みつつ世界に向けて適切な言葉で発信する。僕達はそういうことを常にほぼ無意識にやってる。回りくどい表現に思えるかもしれないけれど、まあそう考えることもできるだろう。

で、僕が「そいつ」の存在を強く感じるのは、「『心』が強い言葉で叫んだ時」だ。「心」は主張する。でも「そいつ」は「心」の言葉をそのまま発信するようなことはしない。いくらか噛み砕いて、説明をつけて筋の通る言葉に変換して表現しようとする。でも「心」は「それは違う」と言う。同じ言葉を繰り返す。「そいつ」は迷う。「そいつ」は「心」も尊重したいけど、「世界」からそれがどう評価されるか、も考慮しなければならないからだ。

あくまで自分の場合だけど、最終的に「心」は叫ぶ。「そんなの理不尽だ」と。「誰に迷惑をかけるわけでもないなら、この感情をそのまま発信できないのはおかしい」。

これらはもちろん結局自分一人の中で起こることに過ぎないのだけれど、そういうふうに抽象化するとその葛藤がどういうもの同士の対立なのかちゃんと感じられてとてもしっくり来た。

そういうことを自分は(もしかしたら他の人も)いつも感じるし、前のエントリとかはそういう「心」の叫びだった。

「そいつ」は「心」を客観的に見守ってくれているけど、それが辛くなることもあるという話。

一度、いや何度も助けてもらって生きてきたけど、 一度本当につらかったときに「共感」してもらって、本当に救われた思い出がある。

そういう言葉を期待していたわけじゃない、その時はただ「聞かれたから答えた」くらいのつもりで話したんだけど、話し終わった後に

「それは、、つらいよ」

って間をおいて言ってくれた、辛い顔をしてくれた。本当にそれだけだったんだけれど、その時は自分が思っていた以上に、、、元気づけられたし、泣きそうにもなった。

同時に、自分もそうやって人を勇気づけられるひとになりたい、寄り添える人でありたいとも思ったことを覚えている。

残念ながら今はそういうモチベーションはもうあまりないけれども。

そんなふうに、「その人に話してもどうにかなることじゃない」「その人に責任はないし、全く関係もない」という人に話を聴いてもらうだけでも、一つの言葉で想像を絶する助けになったりする。そんなことみんな知ってるのかもしれないけれど、自分はこの経験の驚きを忘れることはないと思う。

さて、僕は今、怒りと悲しみでいっぱいだ。ものを投げつけたくて、泣きたくて、涙を流したくて、怒りに任せて叫びたい。殺してやりたいしみんな嫌い。きらいきらいきらいきらいきらいきらいきらいきらい嫌い嫌い。全部嫌。なくなればいいと思う。もう嫌。僕は死にたくない。でも殺してやりたいと思う。この怒りに理由はない。悲しみに原因はない。誰かが悪いわけじゃない。僕も悪くない。だから

とにかく、とにかくどうしようもない。みんなどうしようもないんだよ。わかるよ。でも僕もどうしようもない。それに気づいてしまったから、これを書き始めた。そんなことない。書いていてどうしようもないんだなって思った。救いようがない。消えればいい。つまり、誰にも話すことはできない。よくあることだ。だってどうしようもない。この怒りを何かにぶつけるわけには行かない。悲しくたってどうしようもない。

だから詩を書いた。だから長々と感想を書く。悲しさに意味がついたら、それは健全になる。意味のない悲しさなんて不健全だ。どうしようもない。この文章の前半だって「どうにかなるかもな」との直感のもとに書いたものだ。でもどうしようもなかった。一応書いておくと間違っても「優しくしてほしい」ということじゃない。僕は人に寄り添えるひとになりたかったな、ってちょっと思い出しただけ。もうどうしようもないの。何よりも友人とか失いたくない。みんなすごいいい人だから失いたくない。みんな悪くない。自分の心のうちには関係ない。関係させたくない。平和であってほしい。というかこの事象を他人に説明できないししたくない。

じゃあなんでまだこれを公開する気でいるかって? 殺してやりたいくらい、悲しいからだ。

そう、二面性。4つの窓とか言ってたっけ。そんなにあるのに、一つしか見せちゃダメな気がする。いつもの自分と違う自分を見せることは罪な気がする。自分の場合もう壊れてるけどさ。それから、みんな悲しいことを飲み込む。つらいこと絶対経験してるのに、見せようとしない。だから自分だけそんなことできない。怖いよ。心のうちで「お前だけじゃないぞ」って批判されるのは。みんな言う世界になればいいのに。

全部くそったれだ。創作とか関係ない。マイルドな表現にしたら外に出せるとか終わってる。自分は今猛烈に悲しくて、怒っている。それを「理由なく」飲み込まなければならないのはおかしい。もしかしたら人を不快にさせるかもしれない。でもそれは僕が悪いわけじゃない。そうよね? 誹謗中傷もしてない。どうでもいいけど。

何言ってんだろ。。。そんなこと誰も。。。このブログも誰も気にしないよね。。。一人で自意識過剰よね。。。いきていけない

息をしていない。

もし望むとしたら... みんな自分の悲しさを公開してほしい。急にこのブログポストの意味が欲しくなった。不安になった。でも僕はこれを公開せずにこの先ずっと生きてはいけないだろう。怖い。怖いよ。どうか誰も反応しないでほしい。

君のことを嫌いだといった

君のことを

きみのことを。

さよなら。

さようなら。

もう

姿を見せないで。



耳を塞ぐ代わりに
きれいに作ったお人形
ゼロで初期化された空間
終わりのないy軸

「白に心を許さないで」
あのときあなたはそう言ったから

白さえ消した
色も何も
上下左右もないこの壁の内側で
空白を眺めるまま

眺めたまま

いきている。

*1

*1:三ヶ月前くらいに書いたもののようなのですが、下書きに入っていたのでなんとなく公開してみました