「心が叫びたがってるんだ」感想

「心が叫びたがってるんだ」をみました。

はじまり

「嫌です」と精一杯伝えようとするところから始まります。必死でやりたいことがある、かっこ悪くてもやろうとする人はどんな人から見ても魅力的に見える。

そんな成瀬と同じ「ふれ交委員」になった坂上は、ひょんな偶然から成瀬に「心を見透かされているのでは…?」と疑いを持たれます。

そんなことはないのですけれどねw しかしそこで「歌ならできるかも」と気づくきっかけになります。

自分を救い出してくれる、王子様

音楽を通してまさに二人で助け合いながら、伝えたいことをひとつ、紡ぎあげる。

卵と王子様というメタファーはどこから来たんだろう。チャックをした王子様がいて、卵を破った王子様がいた。

もし卵の王子様が自分が作り出したものなら、そこから救い出してくれる王子様だって幻想になる。

その幻想を昇華してからはじめて、喋ることができない、という観念にとらわれない本当の感情をみつけることができた。

そんな気がした。

言葉は傷つけるだけじゃない

「後悔しても、もう取り戻せないんだから」という言葉から、成瀬が言葉を本当に大切にしていることが伝わってくる。

その言葉には痛みがありありとでている。確かに、言葉ってなれると乱暴に振り回してしまったり量産してしまうことが多い。

だから黙っていた。だから、誰も傷つけたくなくて、自分も後悔したくなくて喋らないことにした。

でもそれだけじゃない。リカバリーしあって、許し合って後悔しあって謝り合うことだって僕達はできると成瀬からは教えてもらったし、クラスのみんなも態度で示してくれた。

「その世界は思ってたよりきれいなんだ。」

成瀬はそう締めくくってる。

感想

世界はちょっとずつ変わる。成瀬以外の世界だって、伝えなきゃいけないことは伝えなきゃってみんな思った。

本当に思った。伝えるのには痛みが伴うことも。

言葉はいつだって相手の心に刻まれる。それが傷つけるのか、刺さるのか、包み込むのかわからないけれど、

そして自分の心も変えていくんだ。取り戻せない。どうにかうまくやっていけばいいじゃんってそんなこと忘れそうになるけど、みんな心の中では昨日言われたことや何年も前に言われたことを嬉しいとか悲しいとか、ちゃんとしなきゃとか、そういう感情に昇華して生きてるんだ。

誰も言わないけれど。みんな何らかの卵に閉じこもっていて、その卵に気づいてさえいないけど、ちゃんと自分の言えないことも、まずは見つめようって。

そう教えてくれるストーリーでした。

すごくない本

「名著じゃない本」を買うのには、ある程度の踏ん切りが必要だと思う。少なくとも僕には。

なんでかって本ってどんなのでもある程度の値段はするし、本はずっと残るし売らない限り本棚を見ればいつもそこに鎮座し続けるということだ。家に来た友達に背表紙を見られる可能性も高い。

そんな「名著じゃない本」「大抵の人にとっては下らない本」が、自分には今必要だ、ということがあると思う。

いや、「あって良い」と思う。

本を買うときにAmazonのレビューや口コミを参考にすることも多い時代だから、そこであまり評価が良くないとすごく不安になる。いつもは評価の良い本しか買わないならなおさら。

でも直感が今こいつを買えと言っている。

なら買えば良い。

人生は「名著で語られるようなこと」ばかりでないと思う。ぜったいに「下らない本」の入り込む余地がある。

そしてそれが後になって思いもよらないところでデジャブになったりする。役に立ったりする。

そういうほうが面白いと思う。

データと統計や素晴らしい成功体験から得られる教訓に支えられた人生も立派だと思うが、実際そうじゃないことも多いだろう。何が役に立つかなんてわからない。だったら面白くたっていい。人と違ったって良い。

そう思って割とどうでもいい本を買ってみたりしている。

笑われて考えること

たまにまちなかで笑われる。

これは大抵遠方に出ているときに起こる。なんだろう。田舎臭いのだろうか。

とりあえずいろいろと笑われるのだ。今日は歩いていたら、前を歩いていた女子高生がちらちらっと時々こっちを見てくる。

で、爆笑。毎回爆笑。

その笑い方もものすごいのだが、とりあえずそれはおいておくとしてまあ、笑われるたびに色々考える。

まあその年齢の頃って他人は単なるコンテンツ(イケメン/不細工等含め)だよねとか、箸が転んでもおかしいよねとか。 僕も結構なエンターテイナーになったなとか。なんせ5分くらい爆笑してたからね。これ下手なお笑いより才能あるんじゃないか。

でそれから「何がそんなにおかしいんだ?」と考える。

これは誰もが考えざるを得ない。「こいつ失礼な奴だな」くらいには思うにしても、だからといって「自分のどこがおかしいのだろうか?」くらいは考えると思う。

で、まあそれはそれで自分を客観視できるということなのである程度興味深い体験ではあるのだが、彼(女)らは基本的に箸が転んでも爆笑なのでわかりっこない。いや、普通分かるのかもしれないが少なくとも僕には絶対にわからない。分かったとしても絶対に下らないことだ。

だから、結論この現象についてイライラするのは精神リソースの無駄遣いだなということになり、考えるのをやめる。

ちなみに今回の件についてネタばらしすると、笑われていたのは僕の歩き方だったらしい。「リズム刻んでる(爆笑)」と言われてた。会津でこの歩きかたで笑われたことないので、福島地方の学生は意識が高いなあと思った。

まあ奇妙である可能性は認める。僕はいろいろと奇妙な人間なので真面目にしてても傍から見たら疑問を覚えることもあるだろう。

これを聞いて思ったのは、まあ基本的にそんな感想なんてないんだけれど、無理やりひねり出すとすれば「そんなんで爆笑してていいのか」ということ。僕もまだまだだけれど、もっと奇妙なことが世界と言わず身の回りにたくさんあるのに、こんな地方出身のオタクを馬鹿にしてる暇があるのか。もっとなにか、せめて今隣りにいる人の変な行動を探すとかのほうが絶対有意義だと思う。

というわけで、お互いに時間の無駄なので黙ってコード書きましょうねーというお話。まあでも、人の歩行動作にリズムを見出す点に関しては君たちおもしろいね! とも思うかな。

親指しふたーとさくらとゆずと

例えば、で文章を始めるのが好きだ。

例えば、桜が咲いている。

例えば、小鳥がさえずっている。

例えば、例えばで文章を始めるのが好きなあなただとしよう。

想像してほしい。あなたがもし「例えば」で文章を始めるのが好きなひとりの冴えない20歳だったとして。

例えば、手紙を書いてみたらどうだろうか?

メタファーで一杯になってしまってその手紙はきっと捨てられるだろう。

メタファーにはふつう受け皿が必要だ。

こんなことばっかり書いてるから技術系はQiitaに移動させなきゃなんなくなるんだ

"Team Geek"を読んだ感想

Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか

Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか

HRTについて

一貫して「HRT」が引き合いに出され、それを土台にしたチーム作り/うまくやる技法について書かれている。

内容とは関係のないことだが、最初に鍵となる概念を提示してそれを基本と一貫して話を続けるのは、わかりやすさという点でも、興味を引くという点でもかなり効果的な技法であると思うが、難しいことだと思う。それにそぐわないことの多くは排除しなければならないから。

最初の「実践HRT」でHRTの基本を学んだときは、HRT的なコミュニケーション方法には懐疑的だった。だって「この部分はxyzzyコードパターンを使ったほうがわかりやすい」と言えば良いものを、「この部分の制御フローがよくわからないのですが、xyzzyコードパターンを使えば読みやすくなるでしょうか?」と伝えるなんて、回りくどすぎる! 自分がそういうのが嫌というよりは、そんな伝え方をされた時にイライラしそうな感じがした。

そんな自分の疑問には答えることなく話はどんどん進むのだが、読んでいるうちにだんだんとHRTに洗脳されていく。

もう少し具体的に言えば、「HRTはコードレビューのときのみ効果を発揮するものではない。全ての人間関係に適応されうるものだ」ということが感覚で理解できるようになってくる。

いや、それは明確に最初の方にも最後の方にも書いてあるのだけれど、いくつもの例を考えていくうちに「HRTを使うべきだ」というのが刷り込まれていく、感覚。

すごく情緒的に書いてしまっているんだけれども、本当にそういう感覚が身についていく実感が読んでいる途中にある。

けものフレンズと同じで、人を優しくする本だと思う。

チームリーディングについて

この本は全体的に、基本は「HRTをどう適用するのがいいのか」というのがいろいろな視点から描かれているものなんだけれども、チームリーディングのところで印象に残ったことを適当に書く。

このパートで重要なことは「エンジニアを大人として扱うこと」。

伝統的なマネージャーはどうやって仕事を完了させるか考える。リーダーは何ができるかを考える…(どうやって仕事を完了させるかはチームに考えてもらう)

また、良いチームのために最重要な「文化」も、チームリーダーが作るのではなく、メンバーが作るものだ。

リーダーは一人のメンバーに文化が支配されないように気をつけながら、チームを陰ながら導いていく。

気になったこと

  • 「みんなの友達になる」や「自信をなくす」ことと、HRTは非常に取り違えやすいと思った。確かに「尊重する」という意味では友達になることに近いかもしれないが、もっと重要なことだけ切り出している。友達は失っても、尊重は失ってはならない。
  • 「明確な意思決定をせずに成り行きに任せるチーム」と「合意ベースのチーム」も非常に取り違えやすい、というか見間違えやすいと感じた。とくに「日本的」な文化が見える会議等では、それが本当に全員の合意なのか、成り行きで出た結論なのかわからないということがある。そうでなくとも、全ての決定について独断がないかと考えるとそこは本当に難しいことだと気づく。
  • 設計書は退屈なイメージがある。設計書通りに書くコードも退屈なイメージがある。でも設計せずに書き始めると、何度もスクラッチから書き直すということは起きる。設計書で解決するかはわからないけど。

その他印象的だった文章

  • 自分の意見を主張するときは、その前に相手の話を聞くようにしよう。ころころ意見を変えると、優柔不断なヤツだとおもわれてしまう

  • エンジニアが相談を持ちかけるのは、君に問題解決をしてほしいからではない。彼が問題解決するのを手伝ってほしいからだ。

  • 簡単にできそうなことをするよりも、できそうもないことに挑戦して失敗するほうが道は開けるはずだ

総括

なんかとんでもなく適当に書いたようなレビュー記事になってしまった。全体的に「方法論」としてかいてあり、部分部分ではいろいろと思うことがあるのだが、全体としてまとめようとするとうまく行かなかった。

結構納得しながらすらすら読むことができる本なのだが、恐らく全部完璧にできている人はいないだろう。なので定期的に読み返し自分の行動を反省していきたいな、と思った本だった。

Go言語でGoogle Cloud SDKを使うときApplication Default CredentialsのJSONファイルをパスではなく文字列で渡す方法

状況

Google Cloud Vision APIをGo言語で使うとき、公式のライブラリがあったのでそれを使っていたら、どんなAPIを叩くにもApplication Default Credentialsが必要だという。Vision APIREST APIから直接叩くにはAPI Keyだけで良いというのに、ライブラリを使うならService Accountが必要。わけわからん(実はライブラリ/依存ライブラリのソースの至るところに"This API is Beta"と書いてあるので今後変更される可能性がある)。

プルリク送ろうとも思ったが、膨大すぎて読みきれなかった/設計の意図を汲み取りきれなかったために断念。おとなしくService Accountを使うことにしたが、Herokuで運用する予定のためJSONファイルをリポジトリ内に置くのはNG。実は先のURLに書いてあるとおり、Application Default CredentialsはキーのJSONファイルのパスを環境変数として指定する方法しかサポートしていない。これは困った。さすがに環境変数で文字列を受け取りそれをファイルに書き込んでからパスで指定するとかしたくない。と思い4時間ソース読んだり試行錯誤したりした先で、やっとこのStack Over Flowを見つけた。

Load GOOGLE_APPLICATION_CREDENTIALS json content via an environment variable instead of a file · Issue #185 · google/google-api-go-client

このページに(ほぼ)内部APIを使ってJSONを変数から読み込みパースし、TokenSource(内部で使われる認証情報を含む構造体)を作るコードが載ってる。

これを参考に(ほぼそのまんまだけど)以下のような感じでいけた。

json := os.Getenv("GOOGLE_APPLICATION_CREDENTIALS_JSON")
ctx := context.Background()
jwtConfig, err := google.JWTConfigFromJSON([]byte(json), vision.Scope)
if err != nil {
    fmt.Println(err)
}
ts := jwtConfig.TokenSource(ctx)
visionClient, err := vision.NewClient(ctx, option.WithTokenSource(ts))

彼はこの世界にいる人間じゃない。

神様は僕達に奇妙な色仕掛けを残していった。…残していったのは、友達だけど。

そんな詩的なのかそうじゃないのかもよくわからない文章をブログの一行目に書きなぐってしまうくらい、今日は複雑な気分でいる。

明るい話題「それは本当に嬉しいことだね」と先輩は言った。嬉しい。

嬉しいけど、正直嬉しくはない。

僕は彼を敵とは思っていない。彼は本当に心から僕といっしょに活動をしてくれているみたいだし、そんなこと思えない。

ただ、でも、明確に諦めている部分もあった。彼はいなくなる運命なのだから、彼に頼んではいけないことと、頼んで良いことをしっかり線引きしてから付き合っていた。

もうひとつある。彼はそのプレゼントを、職人の本性、つまり、ある意味本能的な部分を根源として、原動力として手作りしてくれたということだ。

共感できる。共感できた。

でも共感するとき、不安にならないだろうか? そこに優しさや怒りは本当になかったのか? 誰かのあたたかみがそれに挟まってはいないか? 本当に、本当にそれだけなのか???

本来それは信じられないことなのだ。本来それは物語の中でしか享受できない、僕の人生経験が無いだけと笑われるかもしれないが、そんなことがあって良いのだろうか。というか、あるのか?

信じられるか? 神様を信仰するとき、そこに見返りは無いとしても最後まであなたは手を何の疑問も抱かず手を合わせ続けられるだろうか。ありえない。誰かのメリットや自分の受ける利害を思い描いてこそ、手を合わせ続けられる。

それなしにできた結晶が、そんなに透明なものがこの現実の世界にあると思ってしまって良いのだろうか。

僕は信じられない。嬉しくない。悲しくは…ある。寂しくもある。やるせない。取り返しがつかない。

僕はきっと、その結晶に触れられない。

野獣のように叫びながら、そこに手を伸ばすことさえできずただ涙を流すしか無い。そして

ありがとう。

そう言うんだ。それしか、この涙を形容する方法がないから。

彼は消えたんだ。