これを読んだー。

[あの頃、私達のランドセルはボロボロだった - 心がよろけそうなときに読むポンコツ日記](http://ponkotukko.hatenablog.com/entry/2014/05/20/150139)

正直、自分の周りでは、まだあまり実感できることではないのかもしれない。
こちらはとんと田舎で私立の小学校もまだ少なく、電車で小学生を見かけるのは遠足らしき集団に出くわした時くらい。
しかもそういう子たちはいかにも外で遊んでそうな無邪気な子たちだしね。

だから、実際に都会でそんな光景を見せられたら多分目が飛び出す。( Д ) ゚ ゚

ただ、元記事ほどではないのかもしれないけど、確かにそういうものは感じる。

僕の家の前は空き地で、小さい頃よくそこでキャッチボールとかサッカーをしたものだけど、最近はそういう光景をそういえばしばらく見てない。
ここ2年くらいかな。
というか子供自体を見なくなってきてる。
通ってた小学校も今年入学したのは4人らしく、少子化はとても身近に感じる。
まあでもいても、外で見ない。
すぐ近くの別の小学校にはまだ100人位はいるみたいなんだけど、校庭で遊んだりしてるのかな。

ただ、まあ外で遊んでほしいってのも、結局は僕達の願望に過ぎないと思う。

僕は今でこそ運動とか得意じゃないけど、小さい頃はおにごっことか、秘密基地を決めたり、ずっとずっとかくれんぼをしてたり、めっちゃ楽しかった。
だから「外で遊ぶのは楽しいから、子供のうちくらいその楽しさを十分に味わってほしい」って言いたくなるのはまあとっても痛いくらいにわかる。
あと、「小さい頃外で遊ぶのは教室で学べないことを学ぶためだ」ってのもよくわかる。
だから、ほんとは言いたい。
「もっと遊べ」と。
「子供はそういうものだ」って子供の時言われた言葉を今更ながら痛感する。

でもそれでも、これは僕たちのエゴに過ぎない。
きっとどこかで彼らを「一生勉強なのは不憫だなあ」とか思ってるふしがある。
でもそうじゃない。本人たちは何ら自分たちを「不憫」なんて思ってないんじゃないか。それは格差とかじゃなく、そこには僕たちがあの頃知りえなかった「今の小学生なりの楽しさ」があるんじゃないか。
だって彼らが選んだことだ。実際彼らは嫌がってはいない(ように見える)。
そりゃ本人たちにとって勉強自体は面倒かもしれないけど、「外で遊びたい!!!」と言ってそれを拒否する子どもたちは昔ほどいないんじゃないか。

人が子供のうちにのめり込む対象が、世代とともに変わっていく。切ないけどそれだけだと思う。今の子どもたちも大人たちも、いつか運良くお互いのその「対象」に触れてみたなら、「こんな世界もあるのか」と驚けるんじゃないかな