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「原爆の日」はもう役目を終えたのか

http://togetter.com/li/702874

これ読んだ。

ほんと素直な人たちだな、とまず思った。僕はこういうことなかなかネットでも言えない。叩かれるとわかってること言うって結構すごいと思うんだ。← ただ、「原爆の日とかもういらないんじゃね?ぶっちゃけうざい」とか、ちょっとでも思っちゃった人、割といるんじゃないかと思う。そこまでは行かなくとも、ニュースを聞いてて「あー原爆の日ね、はいはい」となんとなーくその話題だけもういいよーと受け流しちゃう感じ、とか。

うんまあ、僕がちらっと「うるさ」と思ってしまっただけの話なんですけどね。「どうせ自己満足だろ!」

で、元まとめのつぶやきとおんなじようなことを、考えたんですよ。 「そろそろ原爆原爆って、そんな騒がなくてもいいんじゃない?てか伝える意味って何?」 中学校の修学旅行で広島に行っておきながら、今更のようにこんなことを考え始めたわけです。

で結局、「原爆のことや戦争体験を構成に伝えるのは重要だ!」という先生のような-堅苦しい-結論にたどり着いてしまいました。以下その経緯を説明します。

どうして伝える?

まず、「戦争を起こしてはならない!」とみんなが思うのが最終目標なんじゃないかな、って考えました。 これは結構日本人なら割とみんな思ってますよね。そうですよね?

じゃあ目標達成してるんじゃないか?でも僕はそこで、「これからどうなるかわからない。」と思ってしまいました。*1戦争賛成!って人が出てきて世論が戦争へ向かう時代が来てしまうかもしれない。それは防がなければ...

つまり、本当の目標は、「戦争を起こしてはならない!とみんなが思い続けること」

「じゃあ、原爆の体験を語り継げば、みんな戦争したくないって思い続けられるの?」

ここが問題なんですよね。僕は、「そうとは限らないが、写真や映像や話で悲惨さを知るのは、『戦争を起こしてはならない』と思い続けるためには大切」と結論づけました。

なぜなら、戦争という歴史がなければ、人類が経験することのない「悲惨さ」だと思うからです。それは知らなければ、少しも想像できない、あるとさえ思わないものだと思います。「こんなに悲惨な状況が、あり得るのか...」という気付きが最も大切なんじゃないでしょうか。それができなかったから、2度の世界大戦は起きたのではないか、なんて思った次第であります。

最後に

悲惨さというのは写真ではなく、感じるものです。どうにかして伝えよう、としている被爆者の方々から、受け取れるうちにできるだけ多く受け取ろうと思いました。

*1:毎日ネットを徘徊してると割とそう思うよね?