acomagu's diary

思ったことを書きます。技術的なことは書きません。

「心」と「世界」の間のもう一人の自分

引っかかってたことがだんだんと言語化されてきたので書く。

要は「いつも自分を客観視し続けるのはつらいよね」ってことだ。

普段生活している時、これは誰でもそうだと思うんだけど、自己を客観視して、ちゃんと行動に筋が通っているか、相手にわかるように話しているかとかまあそれだけじゃないだろうけどそんなふうなことを常に考えていると思う。ほぼ無意識でも。

それは感情を表現するときでもそうで、どういう説明でこの感情が伝えられるか? とかどういう理由によるものか、とか、

もっと言えば「これを今言って相手は面倒に思わないだろうか」とか「場を白けさせないだろうか」とかまあそういうことまで考えたりする。

それはまるで「『心』と『世界』の間に立つ中立な自分」のようだ。まあ理性と言ってもいいかもしれないけど。

「そいつ」は「心(本当の自分と言っても良いかもしれない)」の喋る言葉を噛み砕いて理解して、「世界」の状況も省みつつ世界に向けて適切な言葉で発信する。僕達はそういうことを常にほぼ無意識にやってる。回りくどい表現に思えるかもしれないけれど、まあそう考えることもできるだろう。

で、僕が「そいつ」の存在を強く感じるのは、「『心』が強い言葉で叫んだ時」だ。「心」は主張する。でも「そいつ」は「心」の言葉をそのまま発信するようなことはしない。いくらか噛み砕いて、説明をつけて筋の通る言葉に変換して表現しようとする。でも「心」は「それは違う」と言う。同じ言葉を繰り返す。「そいつ」は迷う。「そいつ」は「心」も尊重したいけど、「世界」からそれがどう評価されるか、も考慮しなければならないからだ。

あくまで自分の場合だけど、最終的に「心」は叫ぶ。「そんなの理不尽だ」と。「誰に迷惑をかけるわけでもないなら、この感情をそのまま発信できないのはおかしい」。

これらはもちろん結局自分一人の中で起こることに過ぎないのだけれど、そういうふうに抽象化するとその葛藤がどういうもの同士の対立なのかちゃんと感じられてとてもしっくり来た。

そういうことを自分は(もしかしたら他の人も)いつも感じるし、前のエントリとかはそういう「心」の叫びだった。

「そいつ」は「心」を客観的に見守ってくれているけど、それが辛くなることもあるという話。